2010年9月29日水曜日

渋谷バブル建築の変遷 [4/4]

2010 年 9 月 29 日
Posted by 辻香 /東京大学生産技術研究所村松研究室協力研究員

シブヤバブル文化史跡-宴の痕
都市が成熟を続けると、街は頻繁に更新されます。
そこには記憶も痕跡も何も残らないのかしら?などと思いながら思いにふけってみた。
都市の成熟期とりわけバブル期の80年代に焦点をあてて、まずは自分の記憶を元にひとつひとつ見つめてみたい。

◆ シブヤバブルディスコ文化史跡
バブル時代のスクランブル交差点の原風景は「DISCO Big Apple DISCO」のネオンが輝く峰岸ビルだった。(NOVAの看板の上にそのネオンはあったが、残念ながらその写真は無く、峰岸ビルの姿はこうだった)このビル内 8 階には「DISCO Big Apple」と渋谷宝塚劇場が入っていた。1999年にはQ-FRONTビルとなり、スクランブル交差点から見上げる風景は変わりました。2000年にはTSUTAYAが入り、ディスコのイメージであった渋谷から「映画/音楽文化渋谷」へと変化したのです。
「LA・SCALA」は、渋谷ジョイパックビル 3 階に入っていたディスコで、1992年ヒューマックスパビリオン(若林広幸)として姿を変えた。つまり、ディスコイメージだったその場所は、1 階にディズニーが入ったことで突如ワンダーランドへと変化した。
日本初のデザイナーズマンションと言われる「ビラシリーズ」にも、実はディスコが入っていたのをご存知ですか? 1964年、ライフスタイルの変化に敏感だったディベロッパーがその最初のプロジェクトとしてビラ・ビアンカを作りました。マンション自身の設計は堀田英二による。その建物に入っていたディスコがCLUB D。

◆ シブヤバブルアミューズメント文化史跡
「シブヤバブ建」と言えば大抵の人が思い浮かぶのが、警視庁渋谷警察署宇田川派出所(鈴木エドワード)。その周辺から円山町にかけてはみなさんご存知の通り「遊び場」が多い。Dr.ジーカンス、BEAM(ワークショップ)が建ってから90年後半まで、ディスコに変わるアミューズメントは何かとみんなが模索していた痕跡が伺えます。常に施設の使われ方が時代に合わせて変わることから、シブヤの脈々と流れる文化史を読み取ることが出来るのです。BEAMは、竣工当時から物販/飲食/イベントスペースとして活躍していますが、今は「ヨシモト∞ホール」となって渋谷に「お笑い」が入ってきました。


より大きな地図で シブヤバブル文化史跡 を表示

みなさん!なんとなく出入りしている建築には、実に深いその街の歴史が刻み込まれています。
このblogやGOOGLE MAPを見て、是非是非「プレイス」パワーをご覧くださいな。

2011 年 2 月 5 日(土)〜 13 日(日)。私たちshibuya1000は、渋谷駅地下コンコース(主に新駅側)を中心に「都市を展示しちゃおう!」をモットーに展覧会ほかイベントなどを開催予定です!
日々blogやツイッターで渋谷のお祭りや私たちの行動がアップされているので、たまに訪れてみて下さいね。

僭越ながらshibuya1000メンバーを代表して、Google 根来様に、この様な機会をいただけましたこと、ここに感謝申し上げます。そしてフルサポートしてくださったワイデン+ケネディの石畠さん、村田さん。本当にありがとうございました!

1 件のコメント:

  1. あなたに神を愛しています。聖書を読んでください。

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