2010年9月28日火曜日

渋谷バブル建築の変遷 [3/4]

2010 年 9 月 28 日
Posted by 辻香 /東京大学生産技術研究所村松研究室協力研究員

「ビババブル!」って言うと、必ず40代は微笑み意気投合。けれども一般論では「最悪の時代」「当時のツケが今回っている」と、まぁ、それはそれはあまりいい印象の時代ではありません。
が!渋谷を舞台にちょっと「バブル」もそうそう悪くは無いよというお話を書いてみます。

◆ 街イメージ形成に役立った「バブ建」たち
紺色のピンはバブル期に竣工したもの。それをよーく見てみると、ショッピング、デートの目的地にはわんさか「バブ建」があります。スペイン坂周辺、代官山、外苑前などなど。構想がバブル期のものを入れるとピンクピン、水色ピンも入り「表参道」もその一つと言えます。つまり、バブル期は「最低」「最悪」と言われていますが、現在の渋谷区街イメージ形成に大きく貢献していることが分かります。

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◆ 「バブ建」特徴
一部は例外だけれども、往々にして区境にその子達はいます。
つまり1985年以降、他区との文化混在が始まり「バブ建」達によって「シブヤ」「表参道」「代官山」「恵比寿」のエリアイメージが形成されたとも言えます。
所謂「若者の街。渋谷」は、スペイン坂を中心に、港区との境目には「外苑ブランド」。目黒区との境目には「代官山ブランド」と「恵比寿ブランド」が街イメージ構成に「バブ建」が貢献しています。ちょっと変わり種で行くと、ブランド化に失敗?してしまった「コスモス通り」があります。

◆ 「ビバ渋谷バブ建!」
港区との境目外苑西通りでは、外国人建築家によるワタリウム(マリオ・ボッタ)、隣にサッフォー(北川原温)その先に青山TERRAZZA(竹山聖+アモルフ)が姿を見せ、反対側には寛斎ビル(現堀内カラー)(竹山聖+アモルフ、アトリエミカ)少し離れるとS-LATTICE(ワークショップ)達が「外苑」ブランドを作っています。
目黒区との境目には、代官山ヒルサイドテラスが着々と30年の月日をかけ「代官山」ブランドを確立している。もう一つは、恵比寿ガーデンプレイス(久米設計)。ビール工場跡地に建ったこの施設は、白金へとつながるセレブリティの街というイメージを作っています。

青線  :渋谷区境界
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◆ 「おしい!渋谷バブ建。。。」
ビバ!を連発していてももちろん「おしい(多少贔屓目)」事例も正直ある。。。
それは通称「コスモス通り」。渋谷区、世田谷区、目黒区と3区に股がっているこの道では、若手ディベロッパーの手により、「コスモス通り」と新しく名付けられ、ファッションブランドオフィスを誘致したエリア開発をしようとしました。この時代の後半はバブルの終焉であり、この開発は途中で終わってしまいます。が!当時の建築達は現在も活用されています。アーステクチャーサブ1(高松伸)がその第一号。3区をまたがって5件以上の当時の建築を見ることができるので、是非散歩してみて下さいな。
オレンジ線:コスモス通り
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◆ 「ん?これも渋谷バブ建?」
1968年から建替えが検討され、1998年に設計者決定という流れから、バブ建と言えるかどうかは微妙だけれども、ここ数年では表参道ヒルズが港区の境目で登場。表参道同潤会アパートがつくり出してきたレトロな表参道ブランドは、2002年にLOUIS VUITTON(青木淳)、2003年にDior 表参道(妹島和世+西沢立衛/SANAA)が建ち上がり、2006年の表参道ヒルズ(安藤忠雄)で新たなブランドイメージを生み出しています。

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このブログが少しは、バブルへのイメージが良くなることをお祈りします。

次回は、「シブヤバブル文化史跡-宴の痕」と題して「シブヤ遺産」(村松伸+東京大学村松研究室 バジリコ出版)内から抜粋して最後を飾ろうと思います!

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